« 劉 拠(りゅう きょ) | メイン | 菌類の系統進化 »

ブンチューク

ブンチューク(ウクライナ語:Бунчук;クリミア・タタール語:Buńczuk;ポーランド語:Buńczuk)は、金属製の飾りで竿の先端に馬あるいは犛牛の尻尾を付けて空中に掲げたもの。13世紀から20世紀にかけて東亜、中東、東欧に存在した政治・軍事の権力の標し。日本の馬印に相当する。トゥグとクタスとも呼ばれる。

シヤンブル マネー生活ガイド
ポイント・養育関連ライフスタイル市場情報
抜け毛・薄毛・ハゲ治療関連健康家族紹介
飲料水・教材関連お買い物情報
生涯学習・通信教育関連暮らしの学習サーチ
公園・宿泊施設関連旅行・地域情報サイト
健康・健康関連美的生活総合
内職・調査関連ビジネスオンラインネット
調査・出会い関連暮し百科情報
包茎・ハゲ治療関連最新の健康サーチ

ブンチュークの起源は、南ウクライナの黒海北岸から東満州の平野まで広がる欧亜の草原地帯で活躍した遊牧民にあると考えられている。スキタイ人、サルマタイ人、フン人、アヴァール人、クマン人などの民族は、竿に付けた馬の尻尾のブンチュークのような飾りを、軍旗ないし権力のしるしとして使用していたと推測される
13世紀にブンチュークの原型と思われるしるしがモンゴル人によって用いられた。そのしるしはトゥグと呼ばれ、モンゴル部族を率いる大将の権力のシンボルであった。モンゴル帝国が成立すると、「テリイン・トゥグ」(тєрийн туг)あるいは「ツァガアン・トゥグ」(цагаан туг)と称する大きな9本のトゥグがチンギス・ハーンの権力と帝国の象徴となった。それらは、三叉戟を頂点に布と黄金で出来た傘のような飾りを以て、馬の尻尾を夫々の9本の竿の先端に付けたものであった。普段その9本のトゥグは、大ハーンの天幕の前に据えられ、大ハーンの居場と国内の状況を表していた。トゥグの尻尾の色が白ければ帝国は平和であり、黒ければ帝国が戦時中であることを示していた。

13世紀後半に事実上モンゴル帝国がジョチ・ウルス(東欧)、チャガタイ・ウルス(中央亜)とフレグ・ウルス(中東)、ダイオン・イェケ・モンゴル・ウルス(東亜)に分裂したが、チンギスの後継者たるハーンたちはトゥグを使用する習慣を保ち、大ハーンと違って8本のトゥグを用いることにした。さらにそのウルスも滅亡したが、それらの後継者であったテュルク系のクリミア・ハン国とオスマン帝国はトゥグを権力の象徴として利用し続けた。クリミア・ハーンはチンギスの後継者として8本のトゥグを用い、オスマンのスルタンはその後継者ではなかったため、7本のトゥグを用いた。トゥグとともに軍旗も使用された。

15世紀頃、クリミアのトゥグはブンチュークと、オスマンのトゥグはクタスと呼ばれるようになり、トゥグ自体は形式的変化を遂げた。トゥグの数は馬の尻尾の数に交代され、トゥグの頂点の飾りは黄金の玉あるいはイスラム教のシンボル三日月に変わった。馬の尻尾を付けるところは布で負われ、鮮やかな赤・青色で塗られて華麗な模様をなす駱駝の毛の糸で固定され、さらに、馬の尻尾自体も様々な色に染めるようになった。それ以後、クリミア・ハーンは8つの尻尾が付くブンチュークを用い、オスマンのスルタンは7つの尻尾が付くクタスを用いた。また、クリミア・ハン国とオスマン帝国の最高権力者のほかに、当国の大臣や司令官などにトゥグを持つことが許され、3つの馬の尻尾は宰相、2つの尻尾は守護、1つの尻尾は総督という官位ごとに馬の尻尾の数を制限する制度が形作られた。トゥグを持つ義務はトゥグ手官という特殊な従士に課せられていた。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://tengumura.com/blog/mt-tb.cgi/3534

About

2009年04月29日 07:01に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「劉 拠(りゅう きょ)」です。

次の投稿は「 菌類の系統進化」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35